☆第二回ダイジェスト★

 

 

『ソーラン節に必要な“アレ”』

Q: ソーラン節に必要なものってなんですか?

A: あーなるほど、その質問ですか。いくらでも答えようはあるけど……まあ人それぞれって部分もあるだろうし、ごくごく物質的なところに限って言うと、うーん、“アレ”かなあ……。ほら、あるじゃないですか! こう、ヒラヒラっとして、バタバタっとして、ブンブンうなる“アレ”。必要だと思いませんか? そう、『大漁旗』。

 というわけで完成しました! 第柔人の『大漁旗』!! はい、拍手して!

 …………このノリ、大丈夫ですかね? でも深夜4時、徹夜で作業してれば誰だってこんな感じで壊れますよね? タタミ一畳分はある旗に徹夜で色塗ってれば、こんな感じでハイになってしまっても仕方ないですよね? ね、ね?

 

 えー……さて、(このままではいけない気がしたので)気を取り直し、改めまして、第柔人の『大漁旗』が完成&お披露目でございます。

 中央には第柔人のキャラクター『イシンくん』がポーズを決め、バックには踊る白波と輝く太陽!

 デザインは第柔人のアートワークを一手に引き受けるメンバーの本橋が担当しております。

 たしか、色塗り作業はだいたいpm21:00に開始してam6:00に完了しました。もうメンバー総出。丹誠込めて塗っております。

 渾身の力作。ぜひご覧あれ!!

 

 

『おどるっぺin鎌倉』

 第柔人は天候に恵まれるようで、今回の会場・鎌倉由比ヶ浜海浜公園は前回に引き続き快晴なのでした。

 NPO法人鎌倉市市民活動センターさんの協力を得てテントを二張り設置! そこに出来たての『大漁旗』を掲げます。すると、それまでどこにでもある公園のスペースが第柔人色になって見えるから不思議です。

 今回はどんな『おどるっぺ』だったのでしょうか。

 スタートの時間です。……が、どうも集まりがよくありません。チラシを持って浜辺を駆け回って飛び込み参加を呼びかけましたが、効果はありません。踊れば絶対楽しいのに、どうしてもそこまで伝える事ができないのです……。

 なので、ほとんどが第柔人メンバーの状態でのソーラン節スタート。それは悪い事ではないはずなのですが、茅ヶ崎でのいい記憶があるだけに少しショックは……否めません。

 でもまあ、それはそれ! みんなで円陣を組んで、ひと吠え。まだまだ踊りの甘いメンバー(僕ですが……)もいることですし、特訓を開始することに。

 ソーラン節ってつきつめてくと奥が深いんです。動作ひとつひとつに意味があるのはもちろん、誰が観てもかっこよく仕上げるためには、意識しなければいけないことがたくさん――。

 と、踊っているうちに少しずつ人が集まり始めました。メンバーそれぞれが呼んでいた友人グループが到着してきたのです。

 ある程度活気づいてきたところで通常の『おどるっぺ』に路線変更。ソーラン節を一から教えてゆきます。やっぱりソーラン節は大人数で踊ったほうが楽しいですね!

 とても暑い日だったのでみんな汗だく。気付くといろんな人が第柔人Tシャツを購入してくれていて、黄色が増えてる増えてる。

 少しのあいだでしたが飛び入り参加してくれたグループや、通りすがりに興味を持ってくれたおばあさんにも出会いました。

 最後は少し場所を移動して本番。第柔人のソーラン節を少し上から俯瞰する位置にカメラを据えました。真ん中には『大漁旗』。

 力を出し切って踊りました!!

 

 

『ボラカフェ第二回目』

 今回のボラカフェの会場は『寅堂』。江ノ電が走る鎌倉市内の住宅地にひっそりとあるギャラリースペース。二階までふきぬけの屋内は気持ちいいほどの開放感。ソーラン節モードからボラカフェモードにすっとスイッチが切り替わりました。

 ディスカッションでは、前回試みた、班を時間ごとに解体してシャッフルしながら作った活動案を最後に戦わせるシステムを今回も採用(ただし人数の関係でシャッフルは今回、無し)。

 さらに! そこに変化(進化)も加えられました。

 まずは予算を三万円と明確にしました。

 そして、『ボラカフェin鎌倉』では最後に案を決めるだけでなく、企画書を作成するところまでやってしまおうと指針を定めました。

 時間は限られています。これはかなり実験的な試みです……さあ、結果はどうだったでしょうか。

 

 まず、分けられた二班から出された案は以下のようなものでした。

 

1、                  仮設住宅などでボランティアをし、コミュニティの活性化を手助けする。

2、                  映画会をひらいていろんな人に楽しんでもらう。

 

 まず、二つの案で共通していたのが、高齢者や子どもや障がい者といった、比較的ケアが後回しにされがちな人々に目が向けられていた点でした。ですので、この二つの案は合わせることができるのではないか、という所が案をしぼるうえでのスタート地点でした。

 

 つまり例えば、

『仮設住宅などの人たち向けに映画会をひらく』

 

 すると、次に論点としてあがってきたのは、どうやって(どこに)人を集めるのか、でした。映画ならば、著作権の問題もあります。

 と、ここでひとつの新しい案が飛び出しました。「宮城県を中心に復興支援活動をしている“鎌倉とどけ隊”という団体がある。彼らが主体となって開催するお祭りに参加するという手もある」

 

 場の空気が変わりました。

「じゃあそこで、ソーラン節を踊るなんてこともできるんですか?」

「できると思いますよ」

 

 会議ってほんと、生き物ですね(と、離れた目線から言ってみる)。

 話は一気にソーラン節の企画になっていきました。やっぱり第柔人、ソーラン節が中心にあるのだと思います。

 アイデアは次々と出ます。検討しなければいけないことも、同時に出ます。

 

「どうせやるなら参加型がいい。現地の人に踊りを教えて、舞台で踊ってもらう」

「どうやって告知してくかが問題だ。結局、人が来なければ意味が無い」

「現地の学校や団体と連絡をとりあってPRを」

「踊って元気になりましょう、とか?」

「それだと押し付けになってしまう。こちらからは純粋に“楽しいから踊りましょう”というところで勝負する」

「向こうに行かなくたって、こっち(鎌倉)で交流することもできる。例えば鎌倉には東北から非難してきている高校生がいて――」

 

 えー、さて、議論は白熱して参りましたが、今回はここで時間切れと相成りました。

 今後、第柔人がどのように活動してゆくのかは――乞うご期待!!

 頑張りますよ!!

 

 

『女川カレーproject × 第柔人 Charge for Change!!〜』

 女川カレーとは、甚大な津波の被害があった女川町の炊き出しから発し、今は女川町の継続的な復興支援(雇用創成/新名産品作り)を目的に進められているプロジェクトです。

 つまり、超アツくてウマいカレーが女川町で生まれたってこと!

 

 商品を手に取ってみたんですが、スパイスが“そのまま”袋に入っていてかなり本格的! ここから自分でカレーにしていくんですね。素直に「作るの楽しそう」っていうのが第一印象でした。こういう、調合、みたいなのって料理の好き嫌いに関わらずはまる人が多いかも。パッケージが書籍に見立てられているのも面白い。料理する前にまず、会話に花が咲く感じ。

 味はもちろん美味!! 辛さはそんなにない分、スパイシーさが全面に引き立っています。一言で言えば「みんな好きな味」。会場には子どもから年上の方までたくさん来られていましたが、みなさん美味しそうに食べておりました。ちなみに、ご飯は固めに炊いたものがよりいいのだそう。

(余談ですが、ワインもありました。なんと、インドをイメージしたスパイシーなワインなのだそう。僕はワイン詳しくないんですが、我こそはという方はワインも試してみては?)

 

 いつもソーラン節踊って「支援の形はいろいろ」と言っている僕らですが、こうして他の団体の活動を知るにつけ、「支援の形はいろいろだなあ」と逆に思わされてしまったりしました。勉強になります。ありがとうございます。

 アンテナを張ること、アイデアを出すこと、実行すること、大事だなと再確認。

 

   ○

 

 最後になりましたが、参加してくれた皆様、ありがとうございました。

 

踊ることで復興支援に関わる!?「一緒にソーラン節を踊ろう!ワークショップ」

 先日8/6、東日本大震災の復興支援をするチャリティセミナー、HOPE100(ホープワンハンドレット)に第柔人も参加した。

 HOPE100とは、継続的な東日本大震災の復興支援を目的に、各地で多種多様なセミナーを全額チャリティーでおこなっているプロジェクトである。

 特に、先日は会場を神宮ラグビー場前のビルに置き、『HOPE100×神宮外苑花火大会』と題し、花火大会と併せていくつもの魅力あるセミナーを開くという一大イベント日であった。

 その一環として第柔人は、セミナーというかたちでワークショップを開く機会をいただいたのである。

 第柔人のワークショップ(以下WS)。教えられる事といえばもちろん、ソーラン節だ。

 

   ○

 

 流れとしてはまず踊りの練習、花火大会観賞+懇親会をはさみ、本番、となる。

 だがその前に、第柔人とは何か、その活動内容などをスクリーンを使って皆さんに説明する。説明をしたのは第柔人メンバーの梅原洋陽(うめはらひろあき)。留学先のテキサスでソーラン節を踊りながら募金活動をし、日本に帰ってからは、地元の高校生たちを津波の被害に遭った地に連れてくなどの活動をしている人物。第柔人がHOPE100に参加する道を切り開いたのも梅原である。

「私が(第柔人のWSが)他のHOPE100のセミナーとかなり大きく違うと思うところは、知的じゃない、ということで(中略)、こういう気持ちばかりが前に出てるセミナーはかなり異例なんじゃないかな、と」

 ちなみに、この梅原という男、「100人と100回踊りますよ」と豪語した男である。

 梅原は第柔人の誕生について説明する。

「(ボランティア活動を通して出会った者と)発表する場も無いのにダンス(ソーラン節)の練習をしたりしてて、そんな風に仲間みたいになっていって、第柔人はできました」

 ソーラン節とボランティア、ボラカフェ(ボランティアカフェの略)、フラワープロジェクト――第柔人の活動を一言にまとめるのは難しい。踊っているだけではない、かと言って募金を集めているだけではない、花を植えているだけではないし、まして話し合っているだけではない。まったく違う事をバラバラにやっているように見えて、そうではない……。やはり、一言では難しい。

 だが、その精神ならば一言にできる。梅原の言葉をそのまま借りるならそれは、

「踊り続けるかぎり、風化させない」

 

   ○

 

 さて、練習が始まった。限りある時間のなかで参加者の皆さんに約3分強のソーラン節の振り付けを教えてゆく。

 いくつかの“キメる”ポイントを押さえながら陣形移動なども含め約一時間半。休憩中も、メンバーは質問攻めにあう。「“どっこいしょ(という振り付けの箇所)”のタイミングと回数を教えてください」「あそこは右からですか? 左からですか?」

 皆さん真剣だ。頼もしい限り。

 一万発の花火大会の後には、他のセミナーの参加者も交えての『本番』が待っている。

 

   ○

 

 おいしい料理とお酒、一万発の花火と歓声。花火大会が終わり、みな満足そうな表情。しかし、わたしたちの本番はこれからである。

 別室に集まり、WS参加者と第柔人合同で最後の通しリハ。一息つく間もなく、いざ、本番に。

 入場。他のセミナーに参加していたたくさんの観客に迎えられる。

 踊りが始まった。

 花火大会をはさんだとはいえ、夕方からの集中練習の疲れが残っており筋肉が悲鳴をあげる。それでも踊る。ラストスパートだからこそ出せる本当の力。背後のスクリーンでは第柔人が石巻市の避難所で踊ったときの映像が流れている。

「どっこいしょ!」と、全員の声とともにポーズがきまる。心配だった陣形移動もクリア。思い出したように書くが、これはこの日集まったばかりの即興メンバーなのだ。

 最後は「やあ!!」と叫びながらの決めポーズ。

 拍手。

 終わった……と余韻に浸る間もなく、なんとアンコールの声!

 じゃあ観ていた皆さんもご一緒に! と誘うと、すぐに何人かが飛び込み参加を決めてくれる。その後も続くように増え、最終的には倍近くに。

 音楽が始まる。踊る。途方も無い熱量が炸裂した。

 

   ○

 

「面白かった!」「最高!」「一体感がありましたよ」

 終了後、感想を聞いてまわると、有り難い事にそんなお褒めの言葉ばかりを頂いた。

 復興支援とソーラン節が関連していることについてどう思われましたか? と一人の参加者にきいた。

「とてもいいと思う。ポジティブな気持ちになれるのがいい」と、お答えを頂いた。

 また、梅原とともにテキサスでソーラン節を踊っていた人物に日本とアメリカでの活動の違いをきくと、

「テキサスの時はもっと踊りの技術を教える事に重点をおいていたけど、こういう盛り上がることにもっと着眼してもいいんだと気付いた」ということを教えてくれた。

 ものすごいたくさんの良い言葉をもらった。とても支えになる言葉を。

 同じ復興支援でも、ポジティブな気持ちで加わるのと、ネガティブな気持ちで加わるのでは、結果も、持続力も変わってくるだろう。だからこそ、ソーラン節には踊り続ける価値がある。

 かくして“気持ちばかりが前に出た”第柔人のWSは、やはり気持ちばかりが前に出た結果“気持ちが見える”WSになった。そしてそれはみんなのポジティブな心だった。

「俺は(テキサスで)日本人の熱さばかり語ってて――」と、梅原は練習前の説明で語った。うん、確かに、日本人は熱い。

 

   ○

 

 最後に、この日参加してくれた皆さん、観てくれた皆さんに心よりお礼申し上げます。

 

7/23〜7/24石巻市湊町に行って来ました

 石巻市立大川小学校を見に行く。大川小学校は3月11日、死者・行方不明者合わせて八割の児童を失う被害を出した小学校だ。高台への避難中、津波が児童の列を襲ったのだという。

 川沿いの穴だらけの悪路を車で進むと大川小学校校舎が見えてくる。瓦礫の山のあいだにあるコンクリートの建造物。窓ガラスは全て無く、がらんどうであろう中はしかし、影になってよく見えない。

 手を合わせ、しばしその場に立つ。胸の中には、感情らしい感情が見当たらない。驚きも無ければ、悲しみも無い。

 こういうことは石巻にいるとよくある。以前、泥出しのボランティアをしていたとき、一緒に作業をした人とこんな話をした。「なんか感想がぼやけるんですよね。もっといろんなこと考えたりすると思ってたんですけど」

「俺もそうだよ」と返ってきた。

 こういう風に感じている人は案外、多いのかもしれない。

 所詮、外からやってきたわたしたちには触れられないところがある。想像では補えないものがある。

 わたしたちは知らない。災害以前、ここの生活がどんなであったかを知らない。あの瓦礫が、誰のどんな思い出であったかを知らない。供えられたたくさんのお菓子やジュースに、どんな祈りがこめられているかを知らない。

 だから、ここで起こったことの本当の悲しみも解らない。

   ○

 石巻市立湊小学校にソーラン節を踊りに行く。第柔人がずっとずっとやりたかったことが、ついにできるのだ。

 わたしたちに宿泊場所を提供してくれたボランティア団体“愛ちゃんぷるー”の拠点から湊小学校までは車で五分とかからない。心を落ち着ける間もなく小学校に到着。現在も避難場所として使用されている湊小学校のグラウンドには自衛隊が設置した大きなお風呂のテントがあり、校舎の窓からのぞく教室の中からは人々が生活している雰囲気が感じ取れる。

 体育館に入ると、すでに茨城から来たという野球チームが炊き出しのボランティアをしていた。大勢の少年たちがうどんをお盆にのせて運んでいる。すごい。石巻ではほんとうにいろんな団体や個人が復興支援に関わっている。

 さて、体育館内を見回す。お祭りや復興へ向けたポスターなどが一画に貼られ、その横には今日の朝食のメニュー(おにぎり二個におかず)。応援メッセージがいたるところに貼られている。また別の一画は蚊帳で仕切られている。テーブルが置かれ、簡単な調理ができるようになっているようだ。

 歳もばらばらな子供たちがバレーボールで遊んでいる。あの子たちはソーラン節を踊ってくれるだろうか?

 頃合いをみて、持参したスピーカーを置き、呼びかける。「これからソーラン節を踊るので、ぜひ参加してください!」

 思ったような反応は返ってこない。子供たちにも呼びかけるが、恥ずかしがって出てこない。第柔人がやりたかった避難所で皆とソーラン節を踊るというのは、難しいのだろうか?

 ソーラン節を踊っていたという方を含む三名の女性の方が参加してくれることになった。子供たちも数人。みな不安そうな面持ち。第柔人の頑張りどころだ。踊りをしっかりリードしなければ。

 一回通しで踊る。当然、揃わない。ソーラン節経験者の方が「わたしたちの踊りとは違うわね」

 そうだ、ソーラン節は全てが同じなわけではない。

「別に一緒じゃなくても、それぞれのソーラン節で踊りましょうよ」第柔人の一人が提案する。

「うーん、でもねえ……」難しい顔だ。

 逆に、わたしたちがその方の踊りを少し取り入れることにした。一番最初の“構え”の形を変える。それで一回通す。最初よりは良くなった。が、まだだ。もっと楽しんでもらいたい。しかし、どうすればいいのか。

「鳴子、ありますよ、取ってきましょうか」という提案を参加者の一人から頂いた。小学校だからなのか、大量の鳴子がすぐに体育館に届けられる。

「これ、どうやって使うんですか?」と聞いたのはわたしたちだ。第柔人のソーラン節では、鳴子は使わない。

「いいわよ、適当に振って」

「え、いいんですか?」

「いいわよ」

 それでは、ということで、鳴子を持って踊る事に。第柔人、初の鳴子。

 使い方などわからないので、とにかく一心に鳴子を振る。賑やかな音が体育館の中に響く。

 楽しい。何かが吹っ切れたのかもしれない、理由はわからないが、いつのまにか、みな表情がほぐれている。横を見ると、子供たちもなんとか踊りについてきてくれている。胸がいっぱいになる。

 最後は全員で決めのポーズ!

   ○

「鮭(しゃけ)サンバ踊りませんか?」とソーラン節に参加してくれた女性の方が言う。

「鮭サンバ……ってなんですか?」首を傾げる第柔人一同。

「こういう踊りなんですよ」踊りの一部を見せていただく。

「鮭サンバすげーよ。俺ぜんぶ踊れるよ」と男の子。湊小学校にいる子供たちはだいたいこの“鮭サンバ”を踊れるようだ。

「じゃあやりましょうか!!」面白そうなので、教えてもらう事にする。

 基本動作だけ教えていただき、ぶっつけ本番で踊る。手を上へ下へ、腕をクロスさせてまた開く、足はスクエア、掌を振って鮭のヒレを表現、かけ声は「サンバ! サンバ!」

 鮭サンバ、予想以上にハード! 第柔人の表情がどんどん必死になってゆく。でも楽しい。踊りの最後はハイタッチ。こんな踊りがあるなんて!

 踊った後も体育館で子供たちと遊ぶ。卓球、その次はバスケ。第柔人の大人たちがみなヘトヘトになるまで遊んだ。

 さあ、夜は商店街へご飯を食べに行こう。

   ○

 第柔人では今回、ソーラン節とあわせて“フラワープロジェクト”を実行した。

 向日葵、ミント、アメリカンポーチュラカ、それにあおば、ねぎ、にらの苗を車に積んで運び、石巻に植える。

 植える場所は現在“愛ちゃんぷるー”の活動拠点となっているところ。路線バスが通り、ちょっとした待合所としても利用できるようになる。

 メンバー全員で丁寧に植えてゆく。花が咲くときが待ち遠しい。

   ○

 街は未だに瓦礫で溢れている。側溝の蓋を開ければヘドロでいっぱいで、無数のハエが舞い上がる。潮の満干により水浸しになってしまう道がある。信号機のほとんどが機能していなく、警察官が随所で手信号によって車を整理している。そういう状況が、“日常”や“慣れ”によって克服される、ということはまず無い。そういう日々。とても耐えられそうにない。

 それでもそこに住む人たちは頑張っている。ソーラン節を踊った後に立ち寄った居酒屋では、災害があったことなど忘れてただの打ち上げをしているような気分にさせてもらった。翌日に食べた“石巻焼きそば”は出汁のきいた焼きそばで、ぜひ賞味願いたい絶品B級グルメだし、震災直後から営業を再開していた白謙かまぼこの味は実に高級感があり、おかずにもおやつにも食べれるような豊かな味わいだ。もっと甘いものが好きなら、老舗のお菓子屋・白松の『ミニモナカ』がおすすめだ。

 また、震災前は精肉店だったが今は美味しい野菜を安く売っている力強いお店や、様々な東北応援Tシャツを取り扱うスポーツ用品店にも出会った。

 そうなのだ、この街は生きているのだ。

 

第一回『第柔人とおどるっペ!』 Soranbushi for Japan

7/10最高のお天気の中

第一回『第柔人とおどるっペ!』 Soranbushi for Japanを開催することができました!幼稚園の子どもからお父さんお母さんまで幅広い年齢の方々、そして様々な国方に参加していただけ大成功でした。みなさん暑い中いっしょうけんめい踊り、太陽の下笑顔や幸せがはじけていました!最後の撮影の際のダンスでは60名ほどの方々が一緒に踊り、茅ヶ崎の海を背景に私のソーラン人生の中で最高のパフォーマンスがみんなでできたと、踊り終えた瞬間感じました。

 

 

 

☆第一回ダイジェスト★

「関東地方でも梅雨明けしたとみられる」と気象庁が発表し、「曖昧か!」と誰もがツッコんだであろう翌日、茅ヶ崎の浜辺に集う面々があった。年代は様々だ。小さい子供から社会人、その親の世代まで、男女問わず。空は晴天。熱された砂に足の裏を焼かれる。風は熱風で、汗が止まらない。泳げば気持ち良さそうな海までは20メートルとない。けれど、彼らは海に泳ぎに来たわけではない……。

 ほどよく隊形を整えたところで「構え!」の号令がかかった。皆、一斉に右手を前に突き出し、腰を低く落とす。しばらくの静止。20人強の人間が同じ姿勢になり微動だにしない……。そこに、軽快な三味線の音が流れ、突如、同じタイミングで全員の身体が“揺れ”始める!

 金八先生でおなじみ、と言えば伝わる人もいるかもしれない。そう、ソーラン節を彼らはここ茅ヶ崎の浜辺で練習している――宮城県石巻市でのボランティア活動を機会に立ち上げられた“第柔人”主催による『第一回、第柔人とおどるっぺ』が行われているのである!

 

 今回、参加者のほとんどはソーラン節を踊った事が無い。皆、拡声器で振り付けの指導をするヒロの説明を真剣に聞く。「もっと重い物を掴んで放り投げるような感じで!」

 ソーラン節はニシン漁の踊りだ。その動作ひとつひとつに意味が込められている。例えば両手を右に左にと伸ばし腰低くまで持ってくる振り付けは、船の縄を引くときの動作だし、何かを足元にかきあつめて遠くに放り投げるような振り付けは、網を海に投げ入れる動作が元になっている。

 通して3分強の踊りとはいえ、覚えるのは大変だ。砂浜という不安定な足場の上で腰を低く落とすため、体力の消耗も激しい。熱いので、休憩をこまめにとりながら少しずつ振り付けを進めてゆく。ぎこちないながらも、皆、徐々に感じを掴んでゆく。

 ちょうど時間もいいところで最後の振り付けまで辿り着くことができた。仕上げに声出しの確認をする。簡単に二つの組に分け、“呼”と“応”の関係をつくる。片方が「ソーラン! ソーラン!」と言えば、もう片方が「ソーラン! ソーラン!」と応戦する。また片方が「どっこいしょ! どっこいしょ!」と言えば、さらに片方が「どっこいしょ! どっこいしょ!」となるようにする。これをやるのとやらないのとでは、迫力が全然違う。

 さあ、最後に一発通そう! となったとき、誰からともなく「もっと周りの人も巻き込んじまおう!」ということになった。特攻隊長よろしく、メンバーの一人が海の方へと駆け出す。まったく第柔人とは関係のない海水浴客のお兄さんお姉さん、お父さんお母さん、果てはライフセーバーのお兄ちゃんにまで声をかけまくる。

 だ、大丈夫なのかな……? 結果として、そんな緊張が走ったのは一瞬だった。

 なんと、茅ヶ崎の皆さん、予想以上のノリの良さで次々と飛び込み参加をしてくれるじゃないですか! ありがとう! 感動しました! 最終的な人数? ちょっとわかりません……。数えられませんでした。そのくらいたくさんの人数で踊ったソーラン節は、映像としてもUPしてるのでぜひご確認を。だって凄いから。

 

 さて、先にも書いた通り、ソーラン節は漁の踊りだ。だから記念すべき第一回を海辺で、しかも大成功で締めくくれたのは本当に嬉しい。もちろんまだまだ磨いていかなければいけないところはあるけれど、次、そのまた次と考えてゆける第一回だったと思う。

 ソーラン! ソーラン! 砂浜の上で声が上がる。ソーラン! ソーラン! そういえば、誰一人音を上げなかった。どっこいしょー! どっこいしょ! またどんな人が参加してくれるのだろう? どっこいしょー! どっこいしょ! 次は鎌倉だ。

 

   *

 

 第柔人にはもう一つやることがある。いや、こちらこそが、第柔人の本当のステージであるとも言える。

 

 ボラカフェ。

 

 今回の東日本大震災のボランティア活動について、いったいどんなことをすべきなのか、また可能なのかを討論する場だ。

 会場は茅ヶ崎のイベントスペース『リベンデル』。静かな住宅地のなかに、さらにひっそりとある日本家屋で、風が吹き抜ける屋内は空調無しでも十分に涼しい。

 人が集まってきたところで、ボラカフェが始まった。掲げた目標は、何かひとつ、決める事。

 

 導入はまず、第柔人やボラカフェについての説明と再確認。ボランティアをどう進めて行くかなど。「わたしたちはやめない」というパワーポイントで映し出された文字が印象的だった。

 

 次は実際に現地でボランティア活動をしたメンバーの報告。いいことも、悪いことも、とにかく報道ではすくいきれないものを伝える。命に関するような現地で聞いた悲惨な話のときには、会場の空気も張りつめた。

 

 さらに次は、ボランティア活動とはどんなものか、市街地や住宅のヘドロ出しを行ったメンバーによる具体的な説明。ヘドロとはなんなのか、そしてヘドロを出す作業とはどんなものなのか、写真や図面を使い詳細な説明が加えられる。

 

 では、今後いったいどんなボランティア活動が考えられるのか、どんな物が必要とされているのか、いくつかの例が示されたところで、ゲストトーク。NPO団体『シーズ』のじんさん登場。とても大切なお金――寄付について――の興味深い話をしてくれた。

『ただ「なんとなく」で寄付をしたり、「出して終わり」な寄付になってしまっては当事者意識も薄れますしね。そうならないためにも、いろんな選択肢を知ってその中で自分が一番いいと思うものを選ぶのは、とても意味のある事だと思います』とは、じんさんが用意してくれたプリントからの抜粋。

 

 さてさて、なんとなくここまでのレポートが駆け足になったのは、ここからの経過こそが重要であり、そして書くのが非常にややこしいからだったりする。

 簡単に言ってしまえば、じゃあ第柔人でなにをやるか皆で“考えましょう”“決めましょう”という流れになる、のだけれど、それが単純でない。

 説明すると、班を三つに分け、それぞれのテーブルでアイディアを出し合ってもらう。それだけだとよくあるブレインストーミングだけれども、ボラカフェではさらに、ここにシャッフルが加わる。制限時間が過ぎたら一度決まった班を解体して、新しい班を作ってまたブレストをする。これを二回繰り返す。

 最後、それぞれの班でアイディアを一つに絞ってもらい、三つの班から出そろった三つの案を全体で競わせる。

 いったいどうなるんだ? ――たぶんそれは、この方式を採用したメンバーにもわからなかった事だと思う。筆者もこのシャッフル型のディスカッションに参加した。実に様々な案が各テーブルで展開されていた。

 例えば、

 現地に目安箱を置く。

 主婦層など的を絞って参加しやすいボランティアツアーを企画する。

 観葉植物を送る。

 海外とも連携する。

 などなど……。とにかく、ばらばらだ。

 

 では、最終的に出そろった案はどんなものだったか?

 

1、Webを通じて現地と交流し、ニーズなどの情報を得る。

2、現地のソーラン節を踊るグループを探し、ソーラン節を通じて交流しながらボランティアを進める。

3、現地で(共同)ボラカフェをやる。

 

 ――なぜか、どれもあまり違わないのだった。

 すべての案が、どこかしら別の案とかぶるところがある。意見を一つにまとめるために論争が繰り広げられるかとおもいきや、そんなことはなかった。どれか一つの案以外を却下する必要は無く、ただはじめに何をするか決めればいいだけだった。

 コミュニケーションをとる相手を探すということ。

 

 この現象を、頭のいい人ならきちんと理論立てて説明できるのかもしれない。けれど、このレポートの筆者の印象で言わせてもらえれば、きっと、皆思っていたことは一緒だったのだ、ということに尽きる。つまり、知りたい、関わりたい、ということだ。

 必要なものがあるなら、それがどんなものか知りたい。

 困っている事があるのなら、それがどんな事か知りたい。

 第柔人にはどんなことができるのか、それが知りたい。

 もちろん、知って、はいさようなら、というわけにはいかない。この世には、知っている事で生じる責任があると思う。ただ、災害の規模からして、軽く背負える責任ではない。でも、一人では重くて無理でも、第柔人ならその責任を果たせる気もしている。国を動かすような力は無いけれど、じゃあ私たちには何もできませんなんて言う謙虚さも持ち合わせていないのだ。

 第柔人はできることを探す。それをやる。

 

 

☆第一回の動画★

写真集